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フリージャパンという新しい「クラスウオーズ」に向かっている

  • 2008/05/08(木) 09:05:02

・ネット世代が「普通の日本人の怒り」を代弁しはじめた。
代々木に胡主席来日に合わせ抗議デモ4200名。


ラサ暴動直後の前回3月は、代々木に900名だった。
しかし、今回は、なぜこんなに急速に拡大したのか?
自分自身の気持ちも振り返って、理由は3つに整理可能だ。

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1、あまりにもひどい日本政府の弱腰とマスコミの隠蔽体質が露見。
長野五輪リレーの中国人集団の横暴ぶり、警察の主権放棄などがネット実況され、その落差に国民レベルで怒りが共有されている。

つまり、2ちゃんねる、MIXI、ニコ動画、ユーチューブ、ネット動画放送ブログの活用で、短期間に実況され、「ネット活用国民7000万人のコモンセンス共有」で「ネットによる直接的な民主世論が形成」されはじめているのだ。(検閲マスコミの間接世論形成時代の終焉)

・民放が伝えない本当の長野聖火リレーの真実
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3150865
・長野聖火の真実(被害者は多くの日本人)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3190421
・コキントウ夕食会での抗議実況
http://www.stickam.jp/video/178149300
・話題になったアリ@freetibetさんの 「長野フリーチベット日記」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143





2、いつまでも展望の見えない格差社会への、国民的な絶望感

・「戦争で正社員が死なない限り自分は正社員にはなれない」…31歳フリーター。希望は、戦争。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1120862.html
・生きさせろ! 難民化する若者たち 雨宮 処凛
・生きさせろ!反貧困ネットの集会とパレード
http://www.youtube.com/watch?v=A-d9vHy2hxs

3、非常識な中国の積み重なる横暴に、もう日本人は耐えられない。
特に命にかかわる「毒入り餃子事件」の無責任調査姿勢。
(親北京派の福田政権支持率の急落)

51 :名無しさん@八周年 :2008/05/07(水) 02:38:06 ID:LQWzdMTH0
ピッキング 原潜日本領海侵犯 サーズ 毒餃子(日本人少女危篤)
日本人一家惨殺事件 中国人窃盗団 対日核照準 反日暴動 (日本人学生負傷)
歴史捏造 中国人犯罪者毎年首位独走 日本へ毒野菜輸出 防衛省へのハッキング
チベット人虐殺 ウイグル人虐殺 赤ちゃん食い 反日教育(捏造南京記念館)
黄砂日本へ飛来 日本海海洋資源盗掘 衛星爆破(日本の衛星爆破も視野) 
中国による北朝鮮への支援 日本企業へのスパイ行為 (技術流出被害数兆円規模)
日本製品違法コピー  台湾への圧力 中国の三ツ星ホテルは盗聴器だらけ
対日世論工作 ハニートラップ 中国人渡航ビザ廃止 中国式特許の弊害
法輪功虐殺 福田政権(売国) 創価学会 裁判抜きの死刑(拷問有) 
中国人留学生大量誘致 中国人への参政権付与 靖国にて中国人が老人を襲撃   
映画YASUKUNI(制作費血税)3兆の対中ODA(血税)海底ケーブル切断事件
産廃日本海へ投棄 日本の国宝への落書き 北京五輪(聖火リレー長野県陥落)
中国パンダ一頭のレンタル料年5千万(血税)天安門に触れると中国人は弱ります

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わかりやすいプチナショナリズムの発露・・・?
自己投影の弱者=チベットへの同情と、やっと登場した「ふつうの人が参加できるデモ」への期待・・・?



・「もう腹が立つからテレビのニュースはみたくない」
最近、インターネットや携帯をふつうに使いこなすようになった、60歳代の義母の愚痴。

「ちゅーごくじんは悪いんだよねぇ。ギョウザ食べると死ぬよ~」
1年生になったばかりの孫と祖母の世間話にまで、この話題は登場するのだから、日本と中国の関係は、今までのような、適当であいまいな解決延期措置では両国民も納得しないだろう。


「亡命以来、新宿のラーメン屋さんで仕事をしながら、祖国の復興を訴えてきた」というチベット人活動家の集会での話は胸をうった。

しかし、問題は本当にチベット独立であり、中国のリセットなのだろうか?


・「格差問題はクラス・ウオーズだ」
とよく言われる。実際に、金のかかる「資本主義=平和の象徴」ともいえる21世紀の北京五輪を楽しめる人と、怒りをもって眺めているひとがいる。

自由競争と格差社会、戦後の利権にまみれた「国連=米中属国政治体制」を隠蔽してきたマスコミや、五輪報道に代表される、行政や企業利権に対する国民的怒りが、本当の隠された問題だとしたら・・。

実は、日本人も中国大陸と同様に、フリーチベットを通じて、
フリージャパンという新しい「格差闘争」「内戦」に向かっているのかもしれない。


http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=480039&media_id=4

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5/6代々木のフリーチベットデモ参加報告

  • 2008/05/06(火) 19:58:51

本日の青山・表参道・代々木公園抗議デモ(セイブ・ネットワーク)、参加してきました。
マスコミ報道は嘘? 警察、主催側で4200人報告。
代々木公園は1000人が限界の日本青年館が満員になったそうで、
僕もそうだが、途中からデモに合流した参加者も多かった。


080506_1604~0001


デモの声が聞こえてきたので、急遽手作りでプラカードを作成して表参道、モリハナエ前から参加! デモはいくつかのグループに分かれていたようで、数時間も青山、表参道、代々木をつないでいた。


デモ中にも観客やサラリーマンが一緒になってフリーチベットを叫んでいた。こういうデモは初めてかも。それだけ認知と共感が高いわけだ。沿道で手を振ってくれた皆さん、ありがとう!

080506_1541~0001


しかし、若い女性グループ、カップルが意外と多かった。半数を占めていたかも。野外ライブ、フリマの空気。


代々木公園での集会中も、続々デモ隊は集まってきていたから、 CNNの「数百名・・・」は誤報ですね。
チベットだけでなく、ウイグル、内モンゴル、ラオス、ベトナム、北朝鮮、あらゆるアジアの民主化運動の旗が集結していた。メッセージを読み上げるために盛大な拍手と歓声が、5月の代々木の空に響き渡る。


・書籍化の打診で主催側に話を聞こうとしたが、明確な事務局はないようで、サイトが窓口になるという、文字通りのフラットなネットワーク運動体だった。中心のAさんによれば、六本木のデモがきっかけで、ラジオ番組のモーリーロバートソンら若手アクテビストと、昔から運動の中心だった元民主党のチベット議連の牧野聖修・代表世話人が呼びかけ人だ。


また外出するので、とりあえずの報告まで。



・これは、さっき夕方の日比谷公園前の戸弘幸事務所らの
コキントウ夕食会での抗議実況
http://www.stickam.jp/video/178149300


胡主席来日 私的夕食会に出席
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=480041&media_id=2

禺豆麻佐、十六国の3つの秦の遺民?

  • 2008/05/05(月) 21:02:48

渡来人研究会古代史メイン掲示板保存メモ
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Re: パジリク古墳群 投稿者:とみた 投稿日: 9月18日(月)10時35分43秒   引用
> 下記紀氏さんご紹介のパジリク古墳群
> というのはおもしろいですね。シベリアアルタイ方面の積石塚なんですね。墓質に木材を使用しているのが興味深いですね。
> ただ、紀元前2世紀となると、やや新羅やスキタイの積石木かく墓と年代が相違するのでその辺が課題ですね。


日本人のルーツは諸説あり、南方系の探求と同時に北方系の探求も不可欠ですね。

中国東北の扶余由来があり、江上波夫さんの北方騎馬民族征服説も征服まで行かなくても高句麗に南下など日本への影響は大きいものと考えられます。

草原ルートは確かに一考を要しましょう。ローランの小河墓の遺跡でコーカソイドの女性のミイラが気になります。
5000年前に黒海近辺のインド・ヨーロッパ(アーリア)語族が南シベリヤに移動し、4000年前に南下して西域のローランにたどり着いた。

この民は、トカラ語を話す。

南シベリヤは正にアルタイ山中です。

アルタイから、モンゴルへ5000m級の山脈が連なっています。
パジリク古墳群、確かに注目ポイントです。

歴史の父、ヘロドトスヶ紀元前5世紀に書いた〔歴史〕の中で・・・

スキタイ王の極めて特殊な埋葬風習を述べています。

遺体は全身に蝋を塗り腹腔を裂いて臓腑を出した後香り草をつぶしたものをつめて再び縫い合わせる(腐食しやすい臓物を捨ててミイラ化した)・・・

これは遺跡発掘により事実であることが確かめられました。

パジリカ古墳の王の遺体の右足の脛に、鯰とグリフィンの嘴の刺青が権威と護符の験として彫られている。

スキタイ人のシンボルはグリフィン(頭は鷲で体がライオンという想像上の怪獣)。

スキタイ人は紀元前7世紀~紀元前4世紀ごろまで活躍した民族。これがアフガニスタンに南下して大夏国(パクトリア)でギリシャ人を追い出した。その後月氏が匈奴に追われて精西へ移動しサカ人を追い出しパクトリアへ、追い出されたサカ人はイランのペルシャのパルティアへ逃れる。これが大国化してペルシャ アルサケス朝(中国では発音の似ている安息国という)となりローマと戦う。
しかし一説では、サカ人と月氏は同族という。いずれもイラン系の遊牧民族でしょう。


スキタイ人は騎馬戦術に長け、アッシリア人や匈奴に戦法を教えて、両国は強くなり、秦や漢を脅かせた。


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前秦 投稿者:管理人 投稿日: 9月18日(月)01時19分20秒   引用
秦の用語について、ご意見いろいろですね。
紀元前2世紀から紀元4世紀の秦韓についてでは、6世紀の梁書によると秦人の流入、養蚕と稲作の説明があるようで興味深いところです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E9%9F%93
秦というと、下記ご説明いただた中の前秦ですが、苻健(317-355)の次の大秦天王を名乗った苻堅の墓は彬県大仏寺にあるそうです。http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/meisho/haka02.htm
いまいちまとまりませんが、参考まで。


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パジリク古墳群 投稿者:管理人 投稿日: 9月18日(月)01時05分35秒   引用
下記紀氏さんご紹介のパジリク古墳群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%AF%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

というのはおもしろいですね。シベリアアルタイ方面の積石塚なんですね。墓質に木材を使用しているのが興味深いですね。
ただ、紀元前2世紀となると、やや新羅やスキタイの積石木かく墓と年代が相違するのでその辺が課題ですね。


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禺豆麻佐 投稿者:tombo 投稿日: 9月17日(日)14時16分49秒   引用  編集済
1. 「日本書紀」によると、雄略天皇15年(471年)、秦酒公(はたのさけきみ)が百八十種の勝(すぐり)(部)を率いて絹嫌(きぬかとり)を献上し、朝廷に一杯に積み上げた。それで「禺豆麻佐(うずまさ)」という姓を賜わったといい、また「禺豆母利麻佐(うずもりまさ)」といへるは、皆盈(み)て積める貌(かたち)なり、と書いてある。

最近では雄略紀の秦氏=機織技術氏族説はほかに根拠がないということでこれを真っ向から否定している者もいる。

2.「日本書紀」皇極天皇三年七月条に富士川のほとりの「大生部の多」というものが、「此は常世の神なり。此の神を祭る者は、富と壽とを致す」と、虫を常世神として祭ったという記事があり、、常世の虫祭りで世間をあざむいた大生部の多という人を打ちこらしめた秦河勝は、
  太秦は神とも神と聞え来る、常世の神を打ち懲(きた)ますも
と、人民から讃仰されている。

秦は ha-ta で ha は魚で倭人、ta は多で鮮卑の穢人。
つまり、秦(はた)は倭人と穢人の混血。

「多という者」が「虫は常世の神なり」とした虫とは、eh =昆虫 を捻じ曲げた「穢人=eh」のことでしょう。

「禺豆麻佐(うずまさ)」の禺豆(うず)がuzuなら、
易者・占い師・水脈の予測者・鉱脈の予測者ということで、
麻佐(まさ)は、ma-sa で篭・籠(かご)のことか。

篭・籠(かご)は、箕や笊の類でもあり、minu(シュメール語) zaru(アッカド語) は選別するという動詞でもある。

秦河勝の膨大な財は何処から捻出したか?
奈良から京都に都を移した時の、資金源は秦氏のようですが?

「禺豆麻佐(うずまさ)」とは、鉱脈の予測者と鉱石の選別者との意であると思われる。


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ついでに 投稿者:おおた 投稿日: 9月17日(日)11時45分53秒   引用
私の姓、は太秦からきたのではないかと密かに思っています。どう考えても「太秦」をうずまさと読むのは当て字です。氏族名としては「おおはた」と読む場合もあり、文字はどんどん変化して「太畑」→「太田」と変わったのではないかと思います。日本語でも朝鮮語でも文章中のh音は消えやすい傾向にあります。多氏も鉄剣銘では「意富」と書く場合もあることから元の発音は「おほ」oho だったでしょう。つまり「太秦」は本来はohohata と発音していた。やがて文中のh音はが消えていってooata →oota になり、その発音にあった文字として「田」に文字を変えられたというわけです。
 ただしとみたさんに怒られそうですが、これは全くの私見です。多氏・秦氏連合が実証されれば現実味を帯びてはきます。


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「□と×」紋は・・・・・? 投稿者:tombo 投稿日: 9月17日(日)11時42分48秒   引用  編集済
「都祁氏は多氏です。

大和を支配するのは都祁氏→倭氏→大三輪氏と変わることと関係があるのでしょうか」・・・・

列島の氏系を三大別すると、穢人系・倭人系・漢人系になるでしょう。
穢人系は陸路を侵攻した「鳥系」、倭人系は海路を侵攻した「魚系」でしょう。

「都祁氏→倭氏→大三輪氏」は、「穢人系と倭人系」の混血を意味しているでしょう。

穢人は鮮卑です、「卑=pi」 と「倭=wa」 のシュメール文字は同一文字です。

「鮮卑も倭も」、ある時間軸に置ける混血種族に対しての中華帝国の呼び名に過ぎない。
漢人とは、黄河流域の農耕民族と他族との混血族が肥大化したとみるべきでしょう。
黄河流域の血を継承しているかいないかで、混血族を区別しているのに過ぎない。

混血種族が歩んで来た道は彼等の遺品に見出す事ができる。



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さすがとみたさん 投稿者:おおた 投稿日: 9月17日(日)11時13分9秒   引用
ですね。確実に勉強を積み上げられていっています。すばらしい。
私も見習わなければ・・

①に関して私見を述べます。「太」の字は私の名前にも使われていますが、中の点は繰り返しの「々」の篆書形を省略したもので、印などでは2点で表されます。「大」の強調で、「泰」と同じ意味でもあるとされます。大西洋と太平洋では、太平洋の方が大きい意味があります。多氏が後にこの字でも姓を表すようになりますが、やはり「大」よりは「太」を使うことが多くなりました。「秦」が中国の大国、「大秦」がローマを表し、五胡十六国時代にはチベット系の符健によって建てられた「前秦」(352~394年)、羌の姚萇によって建てられた「後秦」(384~417年)、鮮卑乞伏部の乞伏国仁によって建てられた西秦(385- 431年)というのもあります。これら。前・後・西は後の歴史上区別するためにつけた文字で、当時は普通に「秦」と名乗っていたはずです。十六国中では前秦の書道は高句麗にも流入し、好太王碑や後の新羅書法にも大きな影響を与えています。高句麗にとっては漢民族国家よりはチベット・トルコ・モンゴルなどの系統の方が自分たちの文化に近く、交流しやすかったというのはあるでしょう。北魏の文化の影響を受けやすかたというのも同じ理由です。
 秦氏の出自に関してはこの研究会でもいろいろと研究が進んでいますが、やはりチャイナが秦の音から来たという説の通り、中国に初めて誕生した本格的な大国家で、近隣諸国に与えたイメージは強烈だったと思います。それに対する憧れから、周りの民族が新興国家や自分たちの出自をそこに求めたがったのは当然だったと思います。秦氏が本当に秦の遺民だったか、あるいは十六国の3つの秦の遺民だったか、その両方が交じっていたかも知れないし、実際に秦の文化は伝播していたのかもしれない。それがやがて朝鮮半島の新羅に根付き、やがて日本に渡来してくる。そして自分たちの氏族名に「大秦」よりも大きい意味の「太秦」をつけたというところでしょうか。
 そしてもう一つ、気になるのが多氏の存在。秦氏と多氏はイメージがけっこうダブる部分も多いのですが、二つの氏族が提携していて、多氏の別字「太」を使ったというのも一つの説ではあるように思います。

②で、科野国造はやはり多氏の系統の金刺氏であると言われていますので、森将軍塚古墳の主が多氏と同族というのはおっしゃるとおりです。


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確実情報の積み上げ 投稿者:とみた 投稿日: 9月17日(日)10時04分28秒   引用
最近読んだ本で、2-3確実と思われる説をご紹介しておきます。飛んでも説に惑わされないために確実な情報を積み上げています。急がば回れ!歴史を紐解くには確かな情報を積み上げるのが早いと考えています。

①太秦と大秦
 太秦と書いてウズマサと呼びますね。秦氏の族長という意味(秦氏と鴨氏の著者中村修 也)
 大秦はローマですね。大秦という国名は大きい秦という意味。秦はすでに滅んだが西域の人々は中国を秦と呼び続けた。秦からチャイナの起源になっている(これは皆さんの常識です)西域人にとって秦(中国)に匹敵する大国のローマを大秦となづけた(中国の歴史:鶴間
和幸)

②森将軍塚古墳の主は、大和の都祁と関係
信州の千曲川畔の有明山の先端部の森将軍塚古墳(前方後円墳)は、科野国造が4世紀中葉に建造したことになっていますが、この人は奈良県の北方の都祁の同族と語っているそうです。都祁氏は多氏です。

大和を支配するのは都祁氏→倭氏→大三輪氏と変わることと関係があるのでしょうか

③ローマと中国との海のルート
中国の後漢時代、初めて漢の人は々はローマの存在を知った。後漢書に大秦王安敦(ダイシンオウアントン)つまりローマ帝国のアントニヌス(紀元後161から180年)が使節を中国に送ったことが書かれています。今のベトナム当時は後漢に属していた日南が外交の窓口であった。そこを介して中国とローマは接触していた。ローマ時代には海のシルクロードが存在していた。

紀元前92年にイランの大国パルティア(安息国)とローマは戦います。すると内陸のシルクロードが危ないので海のルートに切り替わります。ローマが395年ゲルマンの進行によって東西分裂し衰えると、海のシルクロードは一旦衰えます。
シルクロードは草原ルート、オアシスルート、海のルートとありますが自ずと消長があり民族の興亡が絡まります。

日本人の遺伝子はチベット人と一部共通?

  • 2008/05/01(木) 02:05:51

『日本人の遺伝子はチベット人と一部共通?』

ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ptravel&page=20&nid=59333&start_range=59319&end_range=59350
ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&page=11&nid=357060

「日本人特有の遺伝子とは?」
島国であり人の出入りが少なかった日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種である。
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。
世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。
さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人がアジア特有のO系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。

00000dna03.jpg


またこのD系統はYAP型とも言われ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。
東アジアの地域全体にはアジア系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。

00000dna04.jpg


D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42~56%(参考までチベット33%)で、韓国ほぼ0%である。
アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人にはO系統が混ざっている。
それでも本土日本人のD系統は半数以上である。
つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌにアジア主流のO系統を足したのが本土日本人となる。

結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人~本土日本人~沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、日本人3集団が持つD系統を持たない韓国人は赤の他人と結論できる。

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