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イエス=太秦の秘密2 ハダ

  • 2010/11/07(日) 04:22:29

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イエス=太秦の秘密1 『死海文書』

  • 2010/11/07(日) 03:37:52

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吉備が古代日本の首都説

  • 2010/11/06(土) 07:53:43

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ユダヤ末裔説の秦村に帰省 その2

  • 2010/11/06(土) 06:21:45

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ユダヤ末裔説の秦村に帰省 その1

  • 2010/11/06(土) 04:58:03

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1560687672&owner_id=26776173&org_id=1560668412

とにかく、田舎の空間の広がり方は尋常ではない。


近くの高梁川の川幅は、500メートル以上あるし、堤防の上の街灯どころかガードレールすらない道路を夜中車で走行してると、月明かりに野山が浮かび出て、異次元に迷い込んだような奇妙な感覚に襲われるほどなのだ。w


病気の祈念で一族で廻る寺院に、雪舟が涙でネズミの絵を描いた故事で有名な寺があるが、その高梁川対岸の50メートルを超える日本最大級のイワクラ(神を祀った岩、神社信仰体系以前のアニミズム)をもつ、知る人ぞ知る石畳神社など、まさに雪舟お得意の墨絵の世界そのものの視覚風景におさまっている。

http://www.genbu.net/data/bicchuu/isidatami_title.htm


「石畳さかしき山と知りながら我は恋しく友ならなくに」(万葉集)
imagesCAXOKB2H.jpg



石畳神社は、スサノウを祀っているが、奈良の大和よりも古い時代に様式化された古代吉備の初期神社のひとつで、研究者によれば、渡来秦氏が川の神として祭祀した場所ではないかともいわれている。(神武天皇が東征のときに8年間滞在したときにはすでに存在したという、近辺の元伊勢の葦守神社よりも古いらしい)


日本書紀では、秦の始皇帝15世を名乗る弓月王が応神天皇の派遣軍に助けられて、2年越しの新羅との戦いを経て来日したとされる秦氏。その初期入植地のひとつがここ秦(ハダ)村で、今年も「弓月フェスタ」という夏祭りが川の河原で行われ、1000名以上の参加者があったらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F(詳細だが正確ではないw)


ユダヤ末裔、原始キリスト教団末裔説もある謎の渡来一族・・・。

のちの赤穂、京都につながる吉備開拓の拠点がこの村であり、380年ごろにはコロニーを形成し、大陸との交易ルートを強化し、文字、製鉄、かまど、律令、軍令、税務、祭祀組織を所持していたのは間違いがないらしいが、いかんせん京都開拓以前の秦氏研究者がいない状態なのだ。



秦村に残る、渡来一族河西姓の本家筋は3家。

うちもそのひとつだが、総本家系図が判然としない。
戦国期の備中松山城の姻戚であった秦・荒平城が秀吉側との秘密同盟がばれて毛利軍に攻められ落城し、先祖の豪族城主、河西三郎左衛門幸秀は児島から四国に島流しに。表向きには、総本家嫡流はなくなったとされているが、次男以降が徳川幕府により帰郷を許され、明治維新まで池田家保護のもと4千石の郷農として今になんとか血流を伝えている。

この秦・河西一族は、あの三国志の時代ののち、南北朝の五胡十六国の西域異民族の支配する中国で、前秦、後秦を再興建国したチュルク系、チベット系説の河西鮮卑族、テイ族の末裔だという説がある。
後に隋、唐という大陸帝国を生みだす非漢人系のシルクロードの民が、亡命王族秦氏の源流だったという研究者もいる。


母方が秦氏だった開祖法然(県北の同郷人)が確立した浄土宗は、念仏仏教で有名だが、その浄土という概念や念仏思考に、唐で流行した景教・キリスト教の影響をみる学者もいる。

実在していない聖徳太子伝説にイエス伝承の影響を指摘するアカデミズムも最近は登場している。比喩名のような蘇我馬子が事実上の大王で、太子の顧問がシルクロード交易豪商・秦河勝だったと考えれば、より科学合理的だと思う。


うちは臨済宗で禅宗(そういえば開祖栄西も同郷人だ)だが、戦前までは村の14歳未満の子供たちが夏の某日に集会をする「百万遍」という祭祀を当家で開催していたらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%B8%87%E9%81%8D%E5%BF%B5%E4%BB%8F


父からの話では、数珠をもった子供たちが、ハロウインのように各家を訪問し、庭で輪になり走り、銅鑼や太鼓をたたきはやしたてるらしい。ウイックにはまだ解説されていないが、最後に数珠の房をその家の主がこどもたちの額になすりつけて、祈祷が成就されるらしい。(東方教会のイエス祭祀みたいだ)

ミクシイで先にこの日記を公開したところ、
百万遍は、ユダヤのSimkhat Torahじゃないかと指摘された。

SimchatTorah.jpg

http://islandsofpeace.blogspot.com/2008/10/simchat-torah-in-jerusalem.html


ほかにも夏の祭祀としては、「虫送り」という笹の葉を川に流す七夕のようなものもあったという。それらが京都の祇園祭りや剣山の神輿のように旧7月15日に開催されていれば、ユダヤの過ぎ越しの祭りの伝承影響が説明されるのだが・・・。

うーん、これなんか「虫送り」「七夕」そのものじゃないか・・・・!!
http://www.templenashville.org/index.php?id=43



sucot1_001.jpg

カーニバル・・・

http://www.youtube.com/watch?v=Lj-nd1U1TaA&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=fXFxQTW--r4&feature=related

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