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午後の紅茶と陰謀論(38)伝説の王墳発見か?

  • 2011/12/11(日) 13:50:52

1700年前の渡来してきたばかりの先祖一族、弓月王率いる秦氏の王陵なのか?

父、伯母の1周忌で秦に帰郷したら、最近発見されたすぐ隣のマサキ山の中腹にでた大規模古墳のニュースで、地元の一族はちょっとした騒ぎになっていた。


子供のころから聞かされていた一族の伝承・・・

「マサキには大事なものがある」

「毛利軍に攻められた荒平城や、唐に抑留された白村江会戦後の8世紀の鬼城、西日本最古の6世紀の秦廃寺(一族はその跡地に住んでいる)よりも古いらしい」



2011092923181174-1-256.jpg


・・・しかし、古代史かじってる人ならわかると思うけど、
これ、やばいんじゃない?



http://town.sanyo.oni.co.jp/news_s/d/2011092923181174
昨年末に発見された総社市秦、一丁〓(いっちょうぐろ)1号墳が、墳長76メートルに及ぶ吉備南部最大の前方後方墳であることが、同市教委の発掘調査で29日までに分かった。墳丘を囲む二重の列石や小石室など特異な外部施設も確認。古墳時代前期の吉備内部の勢力図を知る重要な有力首長墓として注目される。



http://kibinokojima.blogspot.com/2011_09_01_archive.html
総社市秦の標高180メートルの山上に発見されたこの古墳は全長100メートル、4世紀前半の築造で吉備南部最大の古墳であることが分かったと言う。
4世紀前半と言うと「謎の4世紀」と言うことで、中国の史書に、3世紀末に書かれた「魏志」以降、「倭」に関する記述が途絶えた時代である。
諸説あるが、神功皇后~応神天皇の時代が4世紀末から5世紀はじめと言うのが、ほぼ定説になりつつあるが、ちょうどこの時期、「吉備」の国が最大の勢力を誇ったであろう時代の古墳と言うことで、とても関心を持たざるを得ない。



http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna6.htm
古墳が巨大化し始めた時代には、秦氏一族が4~5世紀に渡って、朝鮮半島から日本に渡来して、治水・土木・建築、養蚕・機織などの多くの大陸の技術を日本に伝えた。彼らは殖産豪族であり、経済力があり、大和朝廷(天皇家)に協力し、平安京の建設にも大いに協力した。(秦(はた)という日本の呼び名は”機織(はたおり)”から来ている)
  ここで、チベット系の羌(タングート、蔵人)が384年後秦を建国し、秦が陥落(417)した後の、その末裔が秦氏一族であるという説がある。この説によれば、秦氏は、マナセ族の末裔であり、ここからさらに日本でD2系統が増えていったと思われる。(すでに、BC231年に現在の中国の開封(河南省)にユダヤ人の居留区があった。)
  秦氏一族は渡来人のうちで最大の豪族であり、記録によると、応神天皇(15代)のとき120県(あがた)で数千人規模から、欽明天皇(29代)の時の戸籍によれば7053戸、家族も含めると3~4万人にも増え、当時の人口の10%前後にはなっていたと思われる。平安時代以降は、あまり表立った動きをすることなく先住の人々の中に溶け込んでいった。


imagesCAHO4M8H.jpg


1001-420.jpg
(これは5世紀当時国内最大規模の近くの造山古墳、制作にのべ総動員150万人説)



●法事の翌日、現地にでむいて、採掘現場のひとに交じって、埴輪の破片や、当時は海だった平野部から輝いてみえたであろう、白い石を触って、動画に納めてきた。


報道では、中心墳墓自体は70メートル級だが、繋がる副墳墓も含めれば、ゆうにその倍、140メートル以上はある当時最大規模サイズだ。

しかも、皇室歌はじめ、万葉集に謳われたマサキ信仰の山頂は、まだまだその先にあり、イワシロには、謎めいた話があることを、先代の小橋宮司の盟友の地元の某神社庁理事からもきいた。(先代小橋氏は戦後、神社の庭で卑弥呼の銅鏡を発掘したことで有名。なぜか今も所持しているし、国内最古という説もあるH古墳の地主ながら、先代と親子で訴訟をしていた後継者が発掘を拒否しているらしい)


その理事は、金達寿(キムタルス)史観派で、渡来王子アマノヒボコ伝承の秦の姫社神社(たたら、鉄の神様「もののけ姫」参照)の保護者でもある。たまたまバイクで訪問したら、声をかけてくれて、今回いろいろお話ができた。



今後なにが出てくるか、中枢の埋葬墓の調査は、発掘現場の市の職員に聞いても、「ノーコメント」なにも答えれない状況だという。秦出身の片岡市長(ハシリュウ元秘書官)が色気をだしているという噂もあるが、ここは、謎の4世紀を解明し、シルクロード渡来秦氏(ユダヤ末裔説もある)が、吉備とその後の大和朝廷成立にどのような貢献をしたか、ほとんど知られていない秦氏吉備王国のアピールをするよい機会ではないだろうか。


地元秦出身のハシリュウが総理大臣時代に誘致した、厚生省保養施設の工事で、すでに似た墳墓は数多く見つかってはいたが、文化庁に圧力をかけて、保存法を無視して工事を優先したという逸話も、今回はじめて関係者から聞き出したが、日本のルーツが、朝鮮、中国、シルクロード、ユダヤに深くかかわっていくかもしれないという重大な考古学的史料なので、今ばかりは、隠ぺいすべきではないだろう。



今は、時間がなくていえないが、この王墓伝説発見をすでに昔から予言していた人たちは、少なくはない。

一気に、消えた東方ユダヤの復活予言、旧約聖書の東方の光伝説までは、混乱するのでいえないが、少なくとも、明治天皇が密かに遺言で残した孫の某キリスト教会牧師による「神秘日本」程度は、公開すべきだろう。


まさか、アークがでるとは思えないが、穢れを払い、蟠蔡(はんさい)が特長のユダヤ文化祭祀の痕跡がでてくる可能性もあるのではないだろうか。

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