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午後の陰謀論(99)一揆の実態

  • 2012/10/20(土) 18:08:12

午後の陰謀論(99)一揆の実態

■女性警官に集団セクハラ、先輩4人が服脱がせ…
(読売新聞 - 07月27日 08:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2096062&media_id=20


こういう事件は、江戸時代なら、意外とちゃんと処罰をうけて、軽くても刺青をされて佐渡に送られるとか、下手すれば、拷問後市中引き回しで獄門貼り付けだったかもしれない。


江戸時代の官僚や公務員のモラルは、異常に高い。

会議に遅れて切腹、賄賂で本人は斬首(切腹は名誉の処断なので、許されない)家族は隔離後に追放。大物や幹部の場合、将来の禍根を断つため、家族の婚姻を禁止し1世代幽閉監視という処理も、おおげさではなく上層部判断で、ふつうにあった。


そして庶民、とくに被支配層の百姓市民がお上に意見する、直訴することは、死をかける必要があった。

いまの栃木あたりの一揆記録集を読んだことがあるが、農村で一揆の前に名代や地主が税率低減の「条件提訴」をする場合、藩政、幕政からみて、構造的に中間管理の立場の村長本人でも拘束されれば、その場で斬首されることもあったので、彼を逃亡させる外道の専門家組織に外注して、生きて交渉報告に帰れば、そのまま村人が逃がすことが多かった。そして、村人たちは、交渉の結果を待たず、公に武装して一揆の準備をするのである。


つまり、民主的議会もない封建制度時代なので、意見をする=武装蜂起(内戦)準備という、すさまじいばかりの意思が必要とされていたわけだ。
自分たちの権利を自主武装という力で守らないと、「言論空間」を構築することができなかった時代。


そして交渉結果は、武装蜂起の準備規模次第(実質的な戦争行為なので、広域の村も呼応してときに数万人規模の一揆計画になることも少なくはない)で、決まる。そこは現代の国際政治の外交、戦争と同じだろう。

多くは、村人お咎めいっさいなしで、代官=地方長官を切腹か左遷させて、藩政や幕府は事態の収拾を図り、税率は低減されたり、逆に開拓報奨金や褒美が出されていた。もちろん、中途半端な武装準備で、首謀者が弾圧されて何も得るものもなかった未遂事件も多い。


260年にわたる江戸の平和は、最大の奴婢的納税者である百姓の下にさらに搾取層エタ・非人に至るまでに巧妙にクラス管理をした300諸侯の連邦制度にあったともいわれている。

日常的な「静かな戦争」状態が、勤勉な国民性を強化し、ある意味、異常に潔癖で空気を読む「隣百姓」という民族の特性がさらに高まったのかもしれない。




●尖閣諸島やオスプレイ配備問題で、ナショナリズムが「反米反中」に健全に動くさなか起こった、こういう腐敗した性格の事件を、日本民族は一番嫌う。

お上の権力を代行する市中警察は、国民からの嫌悪感情を向けられる卑賤な職業というイメージが長らくあって、石原軍団が洗脳ドラマに協力したアメリカンナイズされた派手な「西部警察」の頃ならまだしも、今では人気があるとはいえない。


革命後の安定期のスターリン時代のソ連でこういうゴシップ事件が宣伝されたなら、神奈川県警本部長はシベリア収容所送りで、当事者は裁判なしで撲殺(実弾がもったいないので、その尋問部屋で血がでないように撲殺)され、最初から勤務していなかったように同じ部署の同僚も「連帯責任うんぬんではなく、情報隠ぺいのためだけに、なんの罪がなくても」シベリア送りになっていたかもしれない。


大津のいじめ事件に続き、本件でもネットリテラシーがどこまで県警を追いこみ、マスコミを動かすか、みものだが、被害者本人が告発に動くなら、市民は彼女をむしろ戦線から安全に逃亡できるように配慮した展開をすべきだろう。

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