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ユダヤ末裔説の秦村に帰省 その2

  • 2010/11/06(土) 06:21:45

・一族ではないが、村の長老ともいうべき神主のh家では、秦氏伝承に詳しかった祖父とも交流のあった先代が、曹操死後直後の魏から卑弥呼に政略用に提供されたという青銅の鏡を戦前だったか、庭先で発掘している。重要文化財だ。


秦では、畑を掘ると6世紀の吉備王国時代の寺院の瓦がよく出てくる。
村の中心部分には、県最古の寺院跡、秦廃寺の礎石があり、県の重要文化財となっている。規模は、法隆寺並みといわれるが、予算がないのか県の教育委員会は本格的発掘をする気配はない。

おかげで、研究者も少ないので、いくつかの礎石は、各家の庭先で鶏のえさ箱代わりに使用されたり、柱の礎石跡が丸く穴があいているため、村祭りの旗や幟を差し込む礎石として今でも使用されているくらいだ(笑)

imagesCAKP0PZL.jpg


僕が祖父から先祖の話を最初に聞いたのは9歳のころで、馬や羊を連れて船で中国から渡来してきたというような伝承だったと思う。中学の時には、大和式、飛鳥式、吉備式、新羅式の寺院瓦模様の違いや類似点を学校の発表会で話すという立派な古代史マニアになっていたほどだ。

ただし、当然のことのように、小中学校を過ごした倉敷の田舎で、自分以外にそんなマニアックな古代ロマンに関心を持つものなど、皆無に近く(わずかに騎馬民族説を知る教師がいる程度)、盲目の邪馬台国研究者にあこがれ、読書感想文でコンクール受賞を総なめした歴史少年も、やがてアナーキーな政治少年へと変貌し、ひそかに蒐集していた土器、瓦、埴輪の破片などもどこかに置き忘れてしまうのだった・・・どこだったけ?(笑)


鳩、犬の埴輪、矢じり、浮き、布地の跡が残る6世紀の秦寺の瓦など、それなりに貴重だと思うが、実は、いまでも実家の裏庭や畑を掘れば、まだまだでてくるのだった・・・。



・「トルコのイスタンブールや中欧のブドウ園、ワイナリーにもいったけど、こっちのほうがよほど進化しとるんで、まったく参考にはならんわ・・」

ブドウ園の従兄叔父の奥さんは、秦の人ではないが、秦村に実家のあるハシリュウのお子さんの養育係をしていた人で、秦氏ユダヤ人説の信奉者らしいが、叔父は自分が先祖の故地を訪問していた意識はまったくないみたいだった。(一族全体でこの異説が話題になることはほとんどない)

ちなみに、この秦廃寺の土地は、中国寄りといわれた元総理大臣の実家一族の敷地に隣接している。
亡くなった総理とは、生前SOHOに関する話をしたことはあったが、秦氏の話は本人も知らなかったと思う。

もう一人の羽田元総理のほうは、始皇帝からの家系図まで所有しているほどの渡来人末裔の自覚がある研究者のようだが、秦氏末裔たちが広く会した公式のイベントは、賀茂神社の葵祭、広隆寺の牛祭りや、総社秦の弓月フェスティバルのように無数の祭事として伝統の中に溶け込んでいて、よくわからないようになっている。


ちなみに、日本で最初に天皇が任命した財務官僚となったのが、日本書紀でも有名な秦大津父。大蔵省はここに誕生し、1500年にわたり、律令制度のかなめとなり、奇しくも秦出身の橋本総理の行革によって、その大蔵という名前を終焉することになった。


秦氏は、たたらを使い、鉄、金、貴金属をもとめ、マネーを創造し、管理する部族でもある。

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