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吉備が古代日本の首都説

  • 2010/11/06(土) 07:53:43

吉備には大和より古く交易先進エリアだった記憶と伝承がわりと残ってるし、未発掘の古墳などが今もたくさんあるので、遺跡自体は珍しくはない。(岡山最古の水田跡のオパール米は、5000年前の縄文ジャポニカ米だ)

それこそ、前方後円墳の敷地内に住宅や保育園があったりするし、天のヒボコ伝説のような渡来神話が身近。


初代神武天皇も岡山の高島宮に長く滞留していたので、「神武部隊は吉備の傭兵」という意識も強い。神武と戦った大物主尊(=三輪の神=同じ天孫で先に大和いりして政権を日向勢力に禅譲した)は吉備同族説なので、今の大和朝廷=天皇家を成り上がりの新参者としてみている気分もある。


ちなみに

1世紀ーー吉備倉敷に後期弥生国内最大のタテツキ遺跡(半島から東日本までの倭首府説

3世紀ーー卑弥呼崩御、奈良・纒向(まきむく)遺跡、吉備進駐
(弥生時代後期の吉備地方で特殊器台形土器や特殊壺形土器で首長墓を飾っていた風習を取り入れる=のちの埴輪。足守川の砂利が遺跡から発掘されており、考古学的には吉備移動説が濃厚か・・・)

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_05_13.htm

4世紀ーー神武東征=応神天皇、大和連合朝廷政権、河内に巨大古墳登場
    応神天皇、仁徳天皇親子で吉備から奥さんもらい、葉田(ハダ=秦)に里帰りしている(日本書紀)

5世紀ーー吉備に当時最大の造山古墳(全長350m)登場、延べ150万人動員説(必然的に列島の首都機能維持か)

0513-34.jpg

築造当時をイメージさせる復元古墳(群馬県の保渡田八幡塚古墳)

0513-33.jpg

260px-Tsukuriyam.jpg


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A0%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C)



実際、大和朝廷・天皇の祭祀中核を吉備が構築したことはアカデミズムも証明している。中国の青銅鏡は、卑弥呼時代には地方政権に同盟の約定として配布されるが、その直後には、国産の複製量産が開始され、存在しない中国の年号が鏡に使用されている(笑)


昔は学校の副テキストで6世紀以降の「大和=中央=侵略」という偏向教育がおこなわれていた(吉備ナショナリズムw)

高校大学の演劇部なんか、大和派遣軍と戦うウラ・レジスタンス軍という構図の劇なんかも多く、地元山陽新聞は騎馬民族説支持で、「吉備王国=渡来共同部族コミューン幻想」を文化コラムで連載していたり、どんだけ左巻きなんだと思いつつも、結構洗脳されていたなぁ・・・w

まあ、倉敷岡山は昔から宗教や教育運動が盛んで、大原美術館運動があったり、日本の労働運動先端エリアで社会系の活動家が多い土地柄なので、「父がスペインの内戦に義勇軍として参加していて、フランコ政権になり家族で帰郷してきた」というような教師がいたり、やたら自由をもとめるそういう空気は当然なのですがね・・・


かって大宅壮一が喝破したように
「岡山は、日本のユダヤ」
というのは、あながち間違いではないどころか、すでに血筋からしてそうだったりして・・(笑)

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