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イエス=太秦の秘密1 『死海文書』

  • 2010/11/07(日) 03:37:52

『死海文書』の全文がオンラインで公開へ  GoogleとIAAの協力により実現
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1379909&media_id=85

若い世代には、エヴァで知られているが、ユダヤ説秦氏末裔としては hadaハダ 由来の秘密解明だな。ハダは、死海文書では、コミューン、教師の共同体をさすという研究もあるらしい。

アラム語だったか、戦前の京大佐伯博士は、イエス=イシュマサ=太秦として、 12使徒直営の原始ユダヤ・キリスト教会の思想が古代日本に流入したことを証明しようとシルクロードの弓月国や景教研究に没頭されていた。


ユダヤ人イエスが、なにを伝えようとしていたか?

matsuri_002_s2.jpg


中世の長安で、天才留学生空海が、景教の牧師アダムスから受けた洗礼や十字秘儀、日本語ひらがなに潜む
「いろは歌」暗号説の「イエス、咎無くて死す」・・・
http://www.geocities.jp/yasuko8787/02-00a.htm

カバラ説、魂の教師の秘密がわかるかもしれません。


ローマ化される前の、イエスの生の思想、
東方に流れて行ったといわれる(日本にも流れ込んでいる)ユダヤ・キリスト原始教会の世界観が公認されたとき、ローマはどうなるのでしょう?



あと、お約束の今の白人系偽ユダヤ=スファラディのルーツとコイネーギリシャ語の新約聖書とのかい離も世界史的大問題になるかもね。
http://blog.livedoor.jp/alegria0714/archives/602131.html

ーーーーーーーーーーー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96

日本とイスラエルの類似性については、
ユダヤ系キリスト教徒ともいわれる秦氏(秦一族)の活動が影響している
部分があるとの指摘がある。
ケン・ジョセフ『日本・ユダヤ封印の古代史2仏教・景教編』徳間書店 では以下のように述べられている。

秦氏は、もともとは、景教徒の拠点であった中央アジアの弓月国に住み、景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰しアッシリア以降の中東の共通言語であるアラム語を話していたとされ、ユダヤ人と同様に養蚕や絹織物技術にすぐれていたとされる。


弓月国には、ヤマトゥという地や、ハン・テングリ山という山があった(「テングリ」はキルギス等の中央アジアの言葉で「神」という意味とされる)。秦氏は、中国での万里の長城建設の労役を逃れるため、西暦(紀元後)360年ころから数回にわたって日本に渡来したとされ5世紀末には2万人程度になり、背が高く容貌が特徴的だったとされている。

5世紀末に、秦酒公は日本酒技術を発展させ、また養蚕で成果を挙げてウズマサの称号を得たとされている。秦氏は絹技術や西方知識を持っていたため天皇の保護を受け、天皇に仕え、絹事業(ハタ織り)で財をなして豪族となり、皇極天皇(642~645)に関する

日本書紀(720年成立)ではウズマサ(アラム語でのイシュマシァ(Ish Mashiach)(インド北部ではユズマサ)に由来するともいわれる。)(ヘブライ語でヨシュア・メシア:選ばれた者ヨシュア、ギリシャ語でイエス・キリスト)を信仰する豪族として秦河勝という人物が登場する。

530pxhatano_kawakatsu.jpg


さらに、秦大酒は748年に大蔵長官となり朝廷の財政に関与したといわれる。

秦氏は京都の太秦を本拠地としつつも、一部は大分の宇佐に住み、一説には710年ころに成立したともいわれるヤハダ神(YHWDH:ユダ/ユダヤ)を信仰し八幡神社を創設した。

八幡神社は749年ころに急に勢力を持ち始め、大きな勢力となって奈良に上京し、このときはじめて神輿をもたらし、これが神輿の起源ともいわれ、八幡神社は全国に広まった。

秦氏は平安京の造成に尽くしたとの説もあり、仏教勢力から逃れるため794年平安京遷都が行われ、その直後に京都で祇園祭が始まった。

また、秦公伊呂具は稲荷神社(イナリ:JNRI/INRI:ユダヤの王・ナザレの・イシュ(イエス):当時の支配者ローマの公用語ラテン語でのキリストの別称)を創建したとされ、さらに元伊勢には秦氏の関与するものが多く、伊勢神宮の遷宮に関与したとの説もある。松尾大社は秦都理が創建したといわれる。京都の下鴨神社は秦一族の族長を記念して建てられたともいわれ、皇室の儀式を多数執り行ってきた。

20060202_22772.jpg


景教はユダヤ教に近いとされるがキリスト教であり、秦一族は南王国に由来するユダヤ人との見方が有力である(ただし、秦一族には舟の家紋を持つものが多く、十支族のゼブルン族が舟の紋章を持つこととの関係も指摘されている)。

ウズマサ明神を祀る京都太秦の大酒神社は古くは大辟神社といい、大辟は中国ではダヴィといいダビデを意味するとされる。 また、秦河勝が弓月から持って来たという胡王面(異国の王の面)はユダヤ人あるいは天狗のように鼻が高い。

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